なぜ私は教育を行うのか?インベクトの想い

みなさん、こんにちは。
春日井市でプログラミング教室と学習塾を運営している藤井です。
2024年7月に開校し、9ヶ月が経過しました。
大変、嬉しいことに10名以上の生徒に利用していただけて、大変感謝しております。
もう少しで1周年という節目を迎えます。
このタイミングで、なぜ私が子供たちの教育を始めようと思ったのか、どのような想いがあるのかを記事にまとめてみようと思いました。
人の心に残り続けるもの、人から人へ受け継がれるものが教育である
人は誰しも、人から教育を受けます。
親からの教育、学校からの教育、会社からの教育。
みなさんも様々なところで教育を受けてきたと思います。
その教育の中で素晴らしいと思ったことは自分の記憶や心の中に残っているのではないでしょうか。
そして、親の立場では子に伝え、先輩の立場であれば後輩に伝える。
そんな風に、教育は受け継がれていきます。
これが「本質的な教育の効果」であり、「役割」です。
私は、自分で何か仕事を始めるにあたり、たとえ失敗して会社がなくなっても、自分が人のために行ったことが残り続けて欲しいと思いました。
それが教育でした。
例えば、車など物というのは、役割を終えれば無くなります。
ほとんどのサービス業は、一度サービスを受け終了すると、すぐに記憶からもなくなります。
しかし、教育は人の記憶と心に定着し、自らその知識を利用可能で、さらに人にも受け継ぐことができるものです。
「教育にはものすごい力」があります。
日本人であるならば、一般的に次のような常識をもっています。
- 挨拶をするのは当たり前
- 人から何かをしてもらったら感謝を伝える
- 人の迷惑になることをしてはいけない
- 順番を守る
- 人を思いやる
などなど、そんなの当然のことじゃないかと思われるかもしれませんが、これは日本人が先祖代々受け継いできた教育があるからこそ、当然のこととして心に刻まれているのです。
良い教育は、人の心に残り続け、社会を良くします。
「そんな教育に私も携わりたい」という想いで、教育事業を始めました。
教育は人の人生を豊かにし国を強くする
現在、プログラミングと勉強の両方を子供たちに教えています。
この知識は、子供たちの人生を豊かにし、その結果国を強くします。
なぜ教育が国を強くするのかの話の前に、日本の現状についてのお話をします。
……
私が生まれたのは1994年8月です。
バブル崩壊後に生まれました。
私が生まれてから30年が経ちますが、日本の経済は良くありません。
私が子供の時、大卒の生涯賃金は3億円だと義務教育で教わりましたが、大卒で生涯賃金を3億円得られる人は何割だと思いますか?
ほとんどいませんよ。
東洋経済オンラインに次の記事があります。(2020年)
『生涯給料「全国トップ500社」ランキング最新版「3億円超」の企業増加、全体平均は2億2613万円』
この記事によると、生涯賃金が3億円の企業は233位からです。
全国トップ500社の半分は生涯賃金が3億円に達しません。
つまり、日本にあるほとんどの企業では生涯賃金で3億円は無理ということです。
バブルの常識で語られても困る。
今の30代と60代以上では景気が違い過ぎました。
私が子供の時の、初任給のイメージは20万円。
厚生労働省『令和元年賃金構造基本統計調査結果(初任給)の概況:2 企業規模別にみた初任給』によると、
大学卒では、男性は大企業(常用労働者1,000人以上)で21万5千円です。
成長していない…。
2025年現在、あらゆる物の物価が著しく上がっています。
お米は5キロ4000円~5000円です。
昨年は2000円くらいだったのにです。
はっきり言って、日本は異常な状態です。
今の子供たちが大人になったとき、今の子供たちは我々の世代よりも苦しむはずです。
不平不満を言う大人がより増え、治安も悪化することでしょう。
「お前たちの世代が頑張らなかったから今の状況があるんだ」
「なんで俺たちがお前たちのせいで苦労しなきゃいけないんだ」
「なんでお前たちの時より俺たちの社会保険料の方が高いんだ」
「お前たちが100円で買えていた物がなんで俺たちの時は200円もするんだ」
そう言われた時に、なんて返せますか?
何も言い返せませんよね?
- 私はそうなりたくない
- 私は上の世代のせいにする人間になりたくない
- 次の世代、子供たちに苦しい思いをして欲しくない
- 日本を少しでも良い方向に動かしたい
このように思いました。
ならどうすればいいのか?
「行動するしかない」
だから、プログラミング教室&学習塾インベクトを開校することにしたのです。
子供たちが大人になった時、子供たちから「お前はなにかしてきたのか?」
と言われたときに、
「あぁ、俺はやってきたぞ」と胸を張れる大人になりたかった。
私が、プログラミング教室&学習塾インベクトを開校したのは29歳の時です。
「子供たちの未来を明るくしたい」、「日本を少しでも良くしたい」と思いました。
若い世代が頑張らなくてはいけない、頑張るしかないのです。
上の世代に期待してはいけない、人のせいにしてはいけない。
今の私に大きなことはできません。
しかし、春日井の上条町という私の身近にいる子供たちの未来が少しでも良いものになるために頑張っています。
……
さて、「教育は人の人生を豊かにし国を強くする」という本題に戻ります。
今の世界では、ITの知識やプログラミングの能力が非常に重要なものとなっています。
2025年4月、世界の企業の時価総額ランキングトップ5が以下の通りです。
- アップル
- マイクロソフト
- エヌディビア
- アマゾン
- アルファベット
この5社に共通するものは何か分かりますか?
この5社は全てIT企業です。
そしてアメリカの企業です。
この事実だけで、ITの勉強がいかに大事かお分かりいただけるのではないでしょうか。
「ITを制する者が、世界を制する」とも言えます。
日本経済を良くするための鍵はIT教育なのです。
日本はITの教育が遅れすぎています。
義務教育でプログラミングの勉強を始めたのも最近です。
ハッキリ言って、もう「手遅れ」なのですが、それでもなんとかしなければいけない。
ITの教育は「個人」、「日本」の両方にメリットがあります。
IT教育が人の人生を豊かにする
- ITを使いこなせればあらゆる面で効率化を図ることができる
- プログラミングができればプログラマーとして働くことができる
- ITを使い創作物を作ることができる
- 仕事で楽をすることができる
- 論理的思考を身に着けることで頭が良くなる
このように、ITを勉強することは個人にとってメリットがあります。
IT教育、プログラミング教育とは、個人の可能性を広げることができます。
生きやすい人生となります。
IT教育は国を強くする
- ITでの発明が巨大企業を生む
- 日本人全体のITリテラシーの向上が日本の力を底上げする
- 社会全体のシステムが効率化される
- 仕事が効率化される
IT教育の最大のメリットは、ITでの発明が巨大企業を生むということです。
世界に通用する巨大なIT企業が日本に誕生すれば日本の経済力が向上します。
経済力が向上すれば、日本の国力が向上します。
そのためには、子供の時からIT教育を受ける必要があります。
例えば、大谷翔平選手を思い浮かべてください。
彼は、何歳から野球をしていると思いますか?
小学2年生からです。
彼が中学から野球を始めていたら、まずあそこまでの大スターになることは無理だったはずです。
では、18歳から野球を始めたら?
プロ野球選手になることも不可能かもしれません。
その道で活躍している人は、子供の時からトレーニングをしています。
プログラミングも同じです。
子供の時から、プログラミングを学ぶことで、世界で活躍できる可能性が高くなります。
その可能性を摘むために、「プログラミング教室が必要」だと思い、プログラミング教室を開校しました。
なぜ私は日本を良くしたいと思うのか
ここまで、私の想いについて書いてきましたが、なぜそれほど日本を良くしたいと思うのか?
それについて考えてみました。
私の人格形成なども影響していると思います。
藤井俊彦という名について
私は「藤井俊彦」という名前を授けられました。
私が生まれたときは、祖父母、両親、兄と6人で同じ家に住んでいました。
藤井俊彦という名前は、祖父の兄である藤井俊彦からもらったものです。
私が生まれる少し前に、大叔父は亡くなりました。
祖父と大叔父は仲が良く、私の両親も俊彦さんの様に立派な人になって欲しいという思いから、私の名を俊彦としたそうです。
私が小学校1年生の時、学校の先生から「皆さんの名前の意味を親に聞いてきてください」と言われたことがあります。
さっそく、家に帰り親に「俊彦ってどういう意味?」と聞くと、「おじいちゃんに聞きなさい」と言われました。
祖父に名前の意味を聞きに行くと、「俊彦の意味は、逞しくて、賢くて、立派な男っていう意味だよ」と言われました。
祖父は兄のことを思い出しながら、教えてくれたのだと思います。
私もその時、初めて俊彦は大叔父の名前だと知りました。
それから、大叔父のことを意識するようになりました。
「大叔父の名に恥じないように生きないといけないな」と次第に思うようになりました。
大叔父は海軍経理学校の卒業生でした。
海軍経理学校は東京大学の先生が教鞭をとっており、先生から東大に来いと言われましたが、先生からはもう教わったから京都大学に行くと言ったそうです。
その後は、裁判官になりました。
中曽根元総理が海軍経理学校の先輩であり、頼まれて法務省訟務局長になりました。
大叔父の話を家族から聞くと「俊彦さんに負けたくないな」と思ったこともあります。
今では、大叔父のことはあまり意識せず、とにかく自分は頑張らないといけない、という気持ちが私の中に定着しました。
死ぬまでに司法試験には挑戦してみたいとは思っていますが。
人のために何かをしたいと思うのは、遺伝的なものか、教育の継承的なものがあるのかもしれません。
親族にちょくちょく政治家がいるので。
藤井は昔は名古屋の天白の植田の庄屋です。
高祖父は天白村の村会議長。
祖父の従兄弟は豊明市の元市長相羽英勝。
私のはとこは現東京都杉並区長岸本聡子。
お会いしたことはありませんが、親族は他にも各方面でご活躍されているようなので、私も頑張りたいと思います。
日本について深く考えた陸上自衛隊高等工科学校の日々
私は、陸上自衛隊高等工科学校56期の卒業生です。
私の父は陸上自衛隊高等工科学校の前身である、少年工科学校の卒業生です。
父は、私の大叔父俊彦さん、父からすると叔父の勧めで少年工科学校に入校したそうです。
自衛官の父の影響もあり、15歳で陸上自衛隊高等工科学校に進むことにしました。
ちなみに祖父は、甲種海軍飛行予科練習生でした。
訓練や勉学に励んでいた、1年生のある日のこと、ニュース番組が騒がしくなりました。
「延坪島砲撃事件」という北朝鮮軍が韓国の延坪島に砲撃した事件が発生しました。
世間一般的には、高校1年生の時に自衛隊に所属していた自分の身からすると大変ショックな事件でした。
この時初めて「日本の国防」を強く意識しました。
凄く近い距離の隣の国で局所的な軍事衝突が発生した。
もしかすると、さらに事態は発展するかもしれない。
日本も他人事ではない。
日本人は平和ボケしている。(私と同じ年齢であの事件を覚えている人は少ないでしょう)
軍事力がなければ日本を守ることができない。
多くのことを考えました。
その後、さらに衝撃的な事件が日本で起きました。
東日本大震災です。
当時、私は1年生で行進訓練中で整列をしていました。
学校は神奈川県の横須賀にあります。
直立不動だったのですが、体がフラフラと前後に揺れる。
「頭がおかしくなったか?」と本気で思った直後、激しい揺れに襲われ、隊舎の窓ガラスがバリバリバリバリッと大きな音を立て、地震だと分かりました。
只事じゃないぞ思ったら、東北で大地震が発生していました。
私の人生で初めて体験する大地震が高校1年生の自衛隊に所属しているときに発生したのは大変ショックなことでした。
私がいた武山駐屯地からも災害派遣に隊員が派遣され、出発の時はみんなで「がんばれー!」と言いながら送り出したのを覚えています。
「何もできない自分は無力だなぁ…」と思いました。
この時も日本という国について深く考えました。
「日本人は一人じゃ生きていけない。日本人は助け合わないと生きていけない」そう思いました。
それからというもの「自分は日本のために何ができるのか?」ということを考えるようになりました。
同期は非常に優秀な者が多く、私がいなくても日本の国防は同期に任せよう。
経済面で日本に貢献しよう。
その考えのもと、卒業後、自衛隊を退職し、大学で経営学を学びました。
その後、日本を良くするためには、何をする必要があるのかを考え、プログラミング教室&学習塾と結婚相談所ブライトウィズを運営することとなりました。
祖父と祖父の兄藤井進
まず、祖父についてですが、私は子供の頃に祖父から色々な話を聞いていましたが、戦後の日本についての話は印象が強いです。(祖父は私が15歳の時に他界)
「日本は戦争に負けたけど、経済では負けてやるかという気持ちで皆一生懸命頑張ったんだよ」
昔のことを思い出しながら語る祖父の顔がありました。
戦前から戦後を生き抜いた祖父の言葉には重みがありました。
昔の人が頑張ったから今の日本があるんだぁと思いました。
「俺は戦後、名古屋鉄道に入ってな、白米が配られて先輩と一緒にいたんだけど、俺は家が農家で米には困らないから先輩もらってくださいって言ったら可愛がってもらえてな、戦後はみんな食べるものに困ってたから」
そういう話を思い出すと、自分も頑張らないといけないなと思うんですよね。
祖父は4男でしたが、次男に藤井進(すすむ)という人がいました。
この記事に書かないと、私が死んだとき、藤井進さんのことは誰の記憶からもなくなってしまうなぁと思いながら書いています。
進さんは、勉強がよくできる人で、理由は分かりませんが愛知県から東京の麻布中学校に行っていたそうです。
途中で東海中学に転校したそうですが。
争いごとが嫌いで軍には入らず、東南アジアで子供たちに勉強を教えるというのが夢だったそうです。
台湾の大学に行ったそうなので、恐らく台北帝国大学に行ったと思うのですが、戦争に巻き込まれて亡くなってしまったとのことです。
恐らく、これは憶測ではありますが、大東亜共栄圏の実現のために、死ぬ気で努力をしていたのではないでしょうか。
夢半ば、無念だったと思います。
私は東南アジアではありませんが、日本で教育をしている立場にあり、たまに進さんのことを思うと、頑張らないとなぁと思います。
魂とかそういうものは信じていませんが、もしそういうものがあるのなら、進さんに「あなたの分まで頑張ってますよー」と伝えたいです。
最後に
想いについて長々と書きましたが、これからも頑張ります。
今後どうなるか分かりませんが、教育とは脈々とつなぐものです。
応援のほどよろしくお願いいたします。